写真館 二千年一夜




若草山の山焼き
奈良県奈良市
2007年1月13日

奈良の若草山は標高342m、3つの山が重なっていることから、三笠山とも言われています。
その若草山の山焼きの行事は、 山に火を入れ山全体を燃やしてしまうという古都奈良の新年を飾る炎の祭典です。
宝暦10年(1760年)に奈良の興福寺、東大寺、春日大社の領地争いが元で始まったのが起源と言われていますが定かではありません。

〜若草山山焼きガイド参照〜


〜goodtimeの追想〜

2002年から追い続けてきた若草山の山焼きも6度目の挑戦にして初の延期となり、
淡路島遠征を予定していた計画を山焼きと兼ねて計画を練り直す。
さすがに奈良駅で「延期」の文字を見た時は面食らったが、
延期になったことが不幸中の幸いで、この1週間良い天気で今年は綺麗に燃えそうな条件が整った。

当初の計画では、淡路まで水仙を撮影した後に奈良へ行く予定だったが、
仕事疲れで夜間移動する気力が無かったので、
岡山でダルマ朝日を狙った後に奈良へ向かう計画に変更。
結局、ダルマ朝日撮影は失敗に終わり、相生駅に車を止めて電車で奈良に入ったのは13時50分だった。
「延期」の張り紙がフラッシュバックとして蘇ってきたが今日は大丈夫そうだ。
去年同様、撮影場所は朱雀門を前景にした平城京跡。
今まで重い機材を持って歩いていたが、バスで行けることがわかり、
あっという間に平城京跡に到着。
重い機材を持って30分かけて歩いた苦労は何だったのだろうか!?と言わんばかりの楽な移動だった。
既にたくさんのカメラマンがスタンバイしている中を歩いて最後端へ向かう。
平城京跡での広大な敷地の中で、どこでどう撮影するかは個人の好みだが、
個人的には一番後ろが好みの構図で、この時間帯でも気兼ねすることなく撮影出来るのがポイントだった。
山焼きまで3時間を切ったところで昼食で時間潰し。

17時になるとカメラマンも随分増えてきた。
カメラマン同士の会話ではもっぱらデジタルの話で盛り上がっており、
何枚も撮ってソフトで重ねるだとか、銀塩派にはついていけないが、
そんな中に中判、大判カメラの大ベテラン組も多く、そちらの話も難しすぎて付いていけない。
機材をセットしたら花火が上がるまでイメージトレーニング。
そして17時50分、いよいよ山焼きの前座である花火が打ち上がった。
僅か10分ほどの花火の中から1カット選ばなければならないが、
後半の尺玉の部から1発入れて後は待機。
後にして思えば違う花火を入れれば良かったのだが、
既にフィルムは底を尽きようとしており余裕が無かったことに悔いが残った。

18時00分、山の麓から一斉に炎が放たれる。
実は山焼きに関しては遠くから見ているせいもあり感動は今までしたこと無かったが、
今年に関しては燃え方が凄まじいのが遠くからでもわかり、
例年以上に今年は燃え方が良かった、と後に新聞で知ることになるが、
その記事を見なくても今日は見事な山焼きだった。
露光時間は合計で2分40秒。
想像以上に凄い燃え方で少し焦ってしまったが過去の経験上、良い感じに仕上がっているのではと密かに期待した。

19時45分、シャッターを切って機材撤収。
早々と撤収したデジタル組と長々と粘る銀塩組。
他の人はどんな絵に仕上がっているのかぜひ拝見させてもらいたいが、
カメラマンが多い割には不思議とネットではあまり見かけない。
今年は楽勝で19時30分発の電車に乗り込み22時30分、相生駅に到着。
ここから淡路島へ向かうべく東へ車を走らせた。





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