写真館 二千年一夜




※開始前にライトアップされた鳥居を前露光



















































































宮島水中花火大会
広島県宮島町
2006年8月14日

宮島の夏を彩る一大イベントがこの宮島水中花火大会。
船より海中に投げ込まれた水中花火は大音響と共に炸裂し、
朱の大鳥居や厳島神社の社殿を幻想的に浮かび上がる。
この大会は、世界文化遺産の正面で水中尺玉(30p玉)が100発が炸裂するのが特徴。


〜goodtimeの追想〜

2001年の初観覧から今年で6度目の8月14日が訪れた。
6時過ぎに宮島口の駐車場に到着。
空は少し霞んでいるが今日も暑い1日になりそうで、
朝早くから到着した担当業者である堀内煙火店が花火の積荷作業を行っていた。
今年から廿日市市となった宮島町なので、
ひょっとしたら煙火業者が変わるのでは?と思ったが、今年も変わらずで安心した。

涼しいうちに重い機材だけ運んでおくため7時台の船に乗って宮島上陸。
年々人の動きが激しい花火大会だが宮島も例外ではなく、
最近では、カメラマン以外の徹夜組が増えているようで、
朝一番のフェリーに乗ってもお目当ての場所が取れない激戦であり、
少しでも良い場所を狙うため、フェリーが着くとマラソンのスタートのように一斉にダッシュが始まる。
今年は干潟上での撮影となるので、さほど場所取りに頭を抱えることは無が、
これが満潮時だと頭を抱えることになる。
早朝の宮島は涼しくて気持ち良いと思っていたのも束の間、
8時を過ぎるとあっという間に日差しがキツくなり調査を中断して木陰へ撤収。
本土に戻りクーラーの効いた涼しいレストランでドリンクを飲みながらしばし休憩した。
10時頃には宮島口の各駐車場はほぼ満車となっていた。

お昼前に再度宮島へ上陸。
12時を過ぎた辺りから花火観覧客と宮島観光客、その他帰省客も加わり大混雑のピークが始まる。
花火大会の開催を知らずに訪れた観光客にとって、
宮島がこんなに混雑するところなのだと驚いていたが、それは不運というものであり、
お昼時の商店街の食堂はどこも満席状態であった。
干潟の広がる宮島もすっかり海の上の神殿となった厳島神社。
せっかくなので神社を参拝したり、
避暑地である千畳閣で風を浴びながら、僅かながら宮島の景色と雰囲気を感じながら時間を過ごした。

16時00分、一面に広がっていた海面も徐々に引いて、
干潟が現われると同時にカメラマンの場所取り合戦が始まり、
時間が経つに連れて後から来るカメラマン、観覧客がどういう動きをするかが注目される。
あるカメラマンが雨支度をし始めているのを見て、
まさか?と思い東の空を見上げると、何といつの間にか雨雲が発生していた。
アメダスを見てみると、広島市内に局地的大雨をもたらしており、
このまま西へ流れると雨の中の撮影を通り越して中断になる可能性もある。
広島市民球場で行われるはずだった試合が中止という情報が流れ、
誰もが大雨になることを覚悟していた。
しかし、アメダスによると局地的大雨は宮島に流れてこないことがわかり、
結果的に、この雨は暑さをクールダウンしてくれるちょっとした恵みの雨となった。

雨も止み、気を取り直して撮影準備に入る。
そして19時50分、花火大会開始。
今年も花火の内容とは関係の無いプログラムが7景にわかれており、
例年通りの長いナレーションが延々流れる。
しかし、この長いナレーションに油断してはならない。
オープニング1発目は尺玉を打ってくることを誰よりも知っていたからだ。
今年は、若干気分的に余裕があったので前露光してライトアップした鳥居と花火のコラボで仕上げてみた。
本来、鳥居は開始5分前に消灯するので事前に30秒露光する。
合成っぽい絵となってしまうがちょっとした遊び心でもあった。
予想通り1発目は尺玉から始まり、会場は大きく沸いた。
1景の流れとしては、スターマイン、小さな水中花火、7号〜10号の単発、尺玉水中花火といった感じで、
堀内煙火店が担当するようになってこの流れは変わってないが、
1景のフィナーレを飾る尺玉スターマインに圧巻されて会場が盛り上がる瞬間でもあった。

長いようで短い1時間の花火はあっという間に終わり、
圧倒された花火をまじかにして終わった後もしばらく放心状態が続いたが、我に戻って機材を片付ける。
早く機材を片付けたところで、大混雑でフェリーに乗れる訳も無く、
早く帰る必要が無ければライトアップされた宮島の光景を楽しむのもまた楽しみの1つだったりする。
一面に広がっていた干潟も1時間が立てば潮が満ちて鳥居が映り込んでいた。
それを考慮してか鳥居付近での観覧は禁止されており、
鳥居から少し後ろに規制線が張られていたことを考えると、最前列で撮れば良かったと後で後悔。
いつか干潮の年のために記憶に留めておこう。
この日の花火は一夜にして一瞬にして夜空へ消えたが、
訪れた人達の心の中にはいつまでも記憶に残ることになると思う。
そして、数日後に子供達が描く絵日記となって甦ることになるに違いない。
頑張って家に帰ろうかと思ったが、高速を使わず一般道を走ったこともあり途中で力尽きて仮眠。
結局、家に帰ったのは翌朝となった。





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