大井谷の棚田
島根県柿木村
2006年5月14日
大井谷地区は、古文書「吉賀記」によると今から600年の昔、まだ戦国の頃開拓されています。 棚田は、古くは室町時代から藩政時代に築かれたもので、 江戸後期には約1000枚以上が耕作されていたと伝われており、収穫される棚田米は江戸時代、津和野藩主に献上された歴史がある。 約600年間幾度の積み直しや補修を経て現在の630枚の石積みの田んぼが耕作されており、 無造作に積み上げ形成された岩垣の雄大な風景は、日本の棚田百選に認定されている。 現在もその面影があり谷あいや山すそ沿いに針葉樹等に覆われた田んぼが残り、 農作業を体験できる棚田オーナー制度、景観保全の資金援助に新米提供で応えるトラスト制度、 収穫に感謝する棚田まつりの継続開催に力を尽くしている。 〜goodtimeの追想〜 3時30分出発予定だったが、二度寝して5時30分に出発。 当時は高速道路の割引が100キロ以内の通勤割引しかなかったので、 広島北ICから六日市IC区間以外は下道というハードな節約移動をしていた。 道の駅から少し北に走った所に案内板があり、少し山道を上ったところに駐車場があった。 駐車場、トイレ、展望台完備の棚田は珍しい。 ここの棚田は、積極的に棚田オーナー制度に取り組んでるらしいので、 遠くから来るオーナー様のために駐車場やトイレなど完備しているのだろう。 朝一番の日差しが当たる到着を目指していたが、現地に着いたのは9時頃。 展望台からは棚田を一望出来るが電柱など余計な物が目立つので撮影には向いておらず、 棚田見学を兼ねて歩いて散策してみることにした。 坂道の多い道のりだったが、ゆっくり歩いているうちに良い構図を見つけてはシャッターを切る。 同じ景色でも車移動では見つからない景色が歩きでは見つかったりする。 「曇りのち晴れ」の予報通り、雲と雲の間から青空も見えてきて、太陽が顔を覗かせるが、撮影しようと思えば太陽が隠れてしまう。 日待ちしている最中、一組の家族が田植えを行っていた。 実家を出て都会で生活をしているお父さんが田植えのため手伝いに帰っているのかと思ったが、 会話やお年よりとの接し方からして、どうやらオーナーさんみたい。 遥々、関西の方からやってきたようだ。 都会暮らしの人にとって、田植えは本当に貴重な体験だと思う。 美味しい空気、耳を澄ませば、風や虫、鳥の音などが聞えてくる。 時には、ヒールに血を吸われるアクシデントがあるかもしれないが、それも良い思い出の1つになるに違いない。 ちなみに、私も小さい頃、学校の授業で田植えや稲刈りをしたことがあるが、 稲刈りシーズン、稲を刈らずに足を刈って何針も縫った経験がある。 先生に車で学校まで送ってもらったりしていたが、 綺麗な先生だったので今となってはいろんな意味で良い思い出となっている。 今の風景と過去の風景を照らし合わせているうちに雲の隙間から太陽が出てきた隙にシャッターを切った。 思ったよりも美しかった大井谷地区の棚田。 ローカル棚田撮影で他のカメラマンとすれ違うのは珍しいが、 この日は、わざわざ愛知から遠出して来られたカメラマンが来ていた。 昨日は、油谷町に行っていたらしく、ちょっと情報を収集させてもらった。 帰り間際に、農家の人と少しだけ会話させてもらい、 来週は、たくさんのオーナーさんがやってきて田植えを行うらしい。 どおりで田植えをしている田んぼが少ないはずだ。 |