写真館 二千年一夜






































































































































































































































































































































































余部鉄橋
兵庫県香住町
2006年3月11日
     3月12日




JR山陰本線鎧駅と餘部駅の間にかかる高さ41.5m、長さ310.7mの鉄橋で、
11基の橋脚、23連の橋桁を持つ鋼製トレッスル橋である。
土木学会による技術評価では近代土木遺産のAランクに指定され、
この種の鉄橋では日本一の規模を誇っていた。
その独特な構造と鮮やかな朱色がもたらす風景は、
鉄道ファンのみならず山陰地方を訪れる観光客にも人気があり、架け替え工事が始まる頃には、
大勢の鉄道ファンや観光客が押し寄せた。
1912年から2010年7月16日まで運用。
2007年3月からエクストラドーズドPC橋による架け替え工事により、
旧余部鉄橋は、殆どが解体撤去され残された3本の橋脚等は今後展望施設などとして整備が計画されている。


〜goodtimeの追想〜

〜3月11日〜

余部鉄橋の存在を知ったのは数ヶ月前の話で、
桜の咲く季節に行きたいと思っていたが、
特急出雲号が3月を持って廃止されるため急遽餘部行きを決めた。
20時に家を出発し、高速道路を使わず下道を走ったため現地に着いたのは翌朝4時。
走り慣れていない所とはいえ、長時間の夜間移動に草臥れた。

とりあえず適当な所に車を止めて現地調査。
出雲号の通過時刻は7時10分と早いので、それだけ鉄道ファンの行動も早いだろうと思っていたが、
案の定、明らかに不自然な県外ナンバーが至る所に駐車していた。
激戦ポイントであるお立ち台に行くと、既に先客が居て10本ほど三脚を立てらせて場所を押えていた。
暗くてよくわからないが、とりあえず空いているスペースを確保。
これから明るくなるにつれてどのくらい増えるのかわからないが、
作戦を立てるにはやはり明るくならなければわからない。
早朝に街中をウロウロしていると不審者だと思われそうなのでしばらく車内で仮眠を取ることにした。

一睡もせず夜間移動してきたので通過する1時間前に戻れば良いだろうと油断したのが仇となった。
6時00分、お立ち台スポットには2時間前とは想像もつかぬほどの鉄道ファンで埋め尽くされていた。
そして、始発が餘部駅に到着してさらに増え、ただでさえ狭い場所に人が埋まるスペースが無いくらいに埋まった。
恐るべき鉄道ファンの執念に圧倒されっぱなしでその場にいることだけが精一杯。
願うものなら早く通過して切り上げたい。
果たして何人のカメラマンがいるのだろうか?
空もすっかり明るくなり、あとは太陽が山から出てくるのを待つ。
太陽が出なければ出雲号に日差しが当たらずシャッタースピードが出ない。
目の前にある駅に停車するのなら速度も落ちるが通過駅なので速度は落ちないだろうけど、
鉄橋を通過する際に少しは速度が落ちることを期待する。
混雑がピークに達し、出雲号が少しでも早く通過してほしいが駅から何やら放送が流れている。
出雲号は6分ほど遅れるらしい。
考えてみれば、通過駅なのにも関わらず放送が流れる駅も珍しいが、
もちろん集まったカメラマンのために流したアナウンスだろう。
自分の描いたイメージは、鉄橋、出雲号、青空、そして余部らしい光景。
お立ち台では、その余部らしい光景を出しにくいので個人的にはあまり好きではなかったが、
撮影チャンスは今日と明日の2回限り。
現地調査の時間があれば他所の選択もあったが、まともな調査も出来ていないので
定番であるお立ち台スポットになってしまった。
7時16分、特急出雲号は余部鉄橋を渡り、多くのカメラマンに見守られながら通過した。

無事に撮影を終えて一先ず撤収。
すぐ普通列車が通過するので街中に戻って見上げる形で撮影体制に入る。
決して新しくないどこか懐かしい古びた街並みが朝の日差しを浴びて絵になる。
7時台の上りと押えて8時台の普通電車に備えて違う場所探し。
こうして明日の最後の出雲号撮影のために最適な場所を探していく。
畑を前景とした光景、お墓の上にある小高い山から余部地区を眺める光景もなかなか良い。
海岸側からも捨てがたいが逆光になるのが不安材料。
しかし、雨か曇りなら海岸側からもありとなる。
お腹が空いたので喫茶店で朝ご飯を食べて休憩した後、もう一便撮影して午前中の撮影を終了した。

午後からは、せっかく遠くまで来たのだから少し周辺を観光しようと、
余部灯台、そして香美町の今子浦海岸を散策。
天気は良かったが時期的に霞みが出て撮影日和にはならなかった。
山陰といえばやはりカニということで昼食は市場でカニを堪能。
その後、翌日の特急出雲撮影の撮影に向けて現地調査。
実は、山の上から鉄橋を見下ろす俯瞰撮影が出来ないものかと調査していた。
どこかにあるはずだが、地元の人に聴いても情報は無く諦めた。
15時45分、特急はまかぜを撮って午後の部は終了。
ここまで一睡もせずよく動いたと我ながら不思議だったが、
鉄橋の素晴らしさと日本海の美しさで動けたのだと思うが少し疲れたので日が暮れるまで仮眠した。

天気が良ければ夕景撮影を考えていたが、この天気では期待出来そうにない。
夕暮れ時に鉄橋のシルエット撮影をしようと思っていたが、
仮眠のつもりが深眠してしまい、気付けば18時30分になって既に薄暗くなっていた。
目を付けていた場所からシルエット撮影を行い早めに切り上げ、
余部地区唯一22時まで開いている鉄板焼き屋さんで、ビールとお好み焼きを堪能した。
駅の駐車場で寝ようかと思ったら、やけに外に人がウロウロしている。
何かと思えば、上りの出雲号がまもなく通過するのであった。
夜なのでもちろんフィルム撮影は無理だが、
デジカメなら撮影出来るのかどうかわからないが、多くの鉄道ファンが待ち構えていた。
そして21時15分、たくさんのフラッシュの光りを浴びながら餘部鉄橋を通過した。
さて、出雲号を見届けたので寝よう。
出雲号は東京に向けて今宵も長い旅が始まるのであった。


〜3月12日〜

普段は空いているであろう駅専用の駐車場も今夜は満車。
その殆どが県外ナンバーなのは、みんな出雲号目当てだということが一目でわかる。
3時00分、車のエンジンの音で目が覚め、その次の瞬間、ポツポツと雨。
とうとう雨が降ってきたかと思えば突如凄い豪雨となり雷が鳴るほどだった。
半分寝ぼけていたので、ひょっとしたら鉄骨が落ちてくるのではないか、とか、
墓地に三脚を立てらせてバチが当たったのだ、とか有り得ないことばかりが脳裏を過る。
そんな雨も次第に収まるが止むことは無かった。
夜が明け、今日も早くからカメラマンが動き始めた。
殆どの人がお立ち台から狙うのかもしれないが、今日は雨が降って滑り易い場所だけに撮影は困難だろう。
それに、昨日の撮影隊がそのまま三脚を置いていたので撮影する場所は限られているに違いない。
カメラマンが車内停泊で早朝の出雲号を狙って帰宅というのが、お馴染みとなっているようだ。
太陽が出ないのであれば、海岸側から撮ることを考えていたので、それなりの構図は練っていた。
それはどうもみんな同じ考えだったようで、既に数人のカメラマンが集まっていた。
ちょうど裏山が上がれるようになっていたので、少し上ってみると、
鉄橋と同じ目線くらいで余部地区を見下ろせてなかなか良い。
この場所を第1候補に考えて段取りを組む。
止んだり小雨になったりの繰り返しで山から霧が立ち込み、時には幻想的な雰囲気に包まれる。
この中で出雲号が通過すれば面白い絵になるに違いない。
そう思うと、第1候補の場所以外には考えられなかったので早速、三脚を持って機材をセットする。

天気の良かった昨日ですら6分遅れたから、今日はひょっとしたら1時間くらい遅れて通過するかも?
と思いながら通過時刻を待つ。
余部駅から通過するアナウンスが流れてきた。
あと少しで出雲号が来る。
今日で最後の撮影かと思うと昨日よりも心がドキドキした。
そして、汽笛を鳴らしながら出雲号が現われる。
話によると汽笛を鳴らし出したのはつい最近らしい。
カメラマンに対する挨拶(というより注意を促す警笛)なのか、それとも余部地区の人達への別れの言葉なのか。
あちこちからフラッシュの光りが放たれるが、
車両からもたくさんの光りが放たれたのには驚いた。
きっと殆どの乗客が余部地区を鉄橋上から一目見ようと早起きしていたのだろう。
赤字路線の寝台特急も廃止が決まれば満席になるのだから不思議なものである。
昨日は近くだったのと緊張感で特に何とも思わなかったが、
離れた場所からだと改めて出雲号の美しさを感じた。
青い車両がずっと繋がっており、まさに銀河鉄道999に見えた。
もっと早くこの存在に気付いていれば、何度も訪れていたに違いない。
廃止が決定されてから3ヶ月はあまりにも短か過ぎた。

地区の中に「ありがとう余部鉄橋、さようなら余部鉄橋」という文字を見かけたが、
静かで何も無い街に多くの人の足を運ばせた鉄橋もまもなく役目を終わることとなる。
余部の人達は、この鉄橋の存在をどういう形で受けとめていたのだろうか。
鉄橋はどう残されるのか、それとも撤去されてしまうのか答えはまだ出ていない。
どちらにしても新しい余部鉄橋の工事は既に始まっているので現状の姿が見れなくなるのはさほど遠くは無いだろう。
桜の咲く季節にまた訪れたい。
その頃には、もう出雲号は走っていないが・・・
雨はいつしかまた小雨となっており、8時00分、余部地区を後にした。





写真館 二千年一夜