写真館 二千年一夜









若草山の山焼き
奈良県奈良市
2006年1月8日





奈良の若草山は標高342m、3つの山が重なっていることから、三笠山とも言われています。
その若草山の山焼きの行事は、 山に火を入れ山全体を燃やしてしまうという古都奈良の新年を飾る炎の祭典です。
宝暦10年(1760年)に奈良の興福寺、東大寺、春日大社の領地争いが元で始まったのが起源と言われていますが定かではありません。

〜若草山山焼きガイド参照〜


〜goodtimeの追想〜

2006年も若草山の山焼きで撮影始めとなる。
今年は5年目にして初の朱雀門から狙うことにした。
今日は良い天気で明石大橋も綺麗に見え、絶好の山焼き日和だと思われたが、
大阪に入ると曇りがちな天気に変わり、奈良に着いた時には雪がちらつくほど悪天候になった。

14時00分、奈良駅に到着。
奈良には何度も来ているが西口に降りるのは初めて。
朱雀門には過去何度か訪れたことがあるが、今回JR奈良駅から歩いてみることにした。
奈良駅から目的地の朱雀門まで約2キロ。
歩いて片道30分に設定したが、重い三脚を持っての移動なので40分近くかかった。
バスで向かっても良かったが、歩いてどのくらい時間がかかるか知りたかったので、
40分もかかるのなら帰りはタクシーに乗り込まないと帰りの電車に間に合わないかもしれない。

現地には既に大勢のカメラマンが三脚を立てらせて待機。
数十メートル感覚で20人くらいのカメラマンが一列に並び、それが100mくらいまで続く。
この光景を見た時は本当に驚いて、鉄砲隊に突っ込む足軽になったような気持ちになる(笑)
広大な跡地からはどこからでも狙えるが、ここが一番良い!っていうのは実は意外と難しい。
前に行けば車のヘッドライトを浴びる危険性があり、
最後列である道路上は平城宮内より2m高いが路駐する車のライトに浴びせられる。
それを考慮してか前方と後方の中間地点にカメラマンが集中していた。
朱雀門をどのようにして入れるかが重要なポイントであり、
こんな場所にもカメラマンが!と驚かされるが、実際に見てみると、なるほど〜と思うこともあれば、
何を狙いなのか?と聞いてみたくなることもあり、
カメラマンそれぞれの個性が出る面白い現場である。

廻りの話によると、今年はカメラマンが少ないらしく、
例年だと最後列もズラッと並ぶほど賑やからしい。
たしかに前回、調査でここへ来たときに比べると人が少ないように思えた。
私が陣取った最後部も2,3人ほどいなかったが、最後まで埋まることは無かった。
薄暗くなる17時30分にカメラを据えて、すべて準備完了。

17時50分、何とか撮影に支障の無い程度に空が暗くなったところで花火が打ち上がった。
花火の打ち上げパターンは例年通りといったところ。
ただ距離があまりにも離れているので花火音は聞えず、
尺玉が上がると数秒遅れで開花音が聞えてきた。
構図とピントの微調整をして、花火を取り込む。
今日は隣同士の緊張感が無く、お隣の三脚に気を使うこともない。

18時00分、号砲の合図とともに点火。
山の麓から一列に炎の線が引かれたように燃え、これが徐々に山頂に向けて燃え上がるのだが・・・
例年に比べると何かがおかしい。
煙があまり出ていない。
ということは、雪が降った影響で草が湿って燃えていないのだろうか。
予想はどうやら当たったようで、朱雀門常連組の人達も「今年は悪い」と言って早々と撤収する者もいた。
例年よりカメラマンが少ないのは、既に燃えないことがわかっていたからなのか?
スタートからいつまで経っても迫力のある山焼きは見ることが出来なかった。
通常1時間露光が必要だが、電車の関係上、毎年40分しか露光していない。
今年はせめて1時間以上は粘りたいが、残念ながらシャッターを切る時がやってきた。
最後のラストスパートに期待するが、期待空しくシャッターを切った。
初の朱雀門からの撮影は、完全に山焼きと同じく不完全燃焼に終わった。

機材を片付けて時刻は18時50分。
JR奈良駅までのんびり歩いて40分かかった距離なので
早歩きすれば30分で着くと読んでいた。
しかし撮影疲労のせいか歩くスピードは思いのほか出ず、
オマケに早歩きすればするほど防寒着の威力が発揮して汗ダクダクで体力を消耗。
最悪タクシーを捕まえようかと思ったがその姿も見えず、
このままだと間に合わないかもと思いながら頑張って歩いた結果、
出発30秒前滑り込みセーフで電車に乗り込むことが出来た。
「諦めが肝心」という言葉があるが、
「諦めなければ叶う」ことも世の中にはあるようだ。




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