写真館 二千年一夜




































































































































































































正三尺玉




































正三尺玉





















































































































































ベスビアス大スターマイン





































ベスビアス大スターマイン






































正四尺玉

片貝まつり奉納煙火
浅原神社秋季例大祭
新潟県小千谷市
2005年9月9日






毎年9月9日、10日に開催される片貝まつりは、400年前の江戸時代初期に及ぶ歴史があり、
浅原神社へのお賽銭代わりに花火を奉納したことから、花火の打ち上げが始まったといわれています。
1891年には片貝で初めて三尺玉が4発打ち上げられたことから三尺玉発祥の地となり、
1985年には直径800mもの大輪の花を咲かせる四尺玉の打ち上げにも成功しギネスブックに掲載されるなど、
世界一の打ち上げ花火として知られています。
片貝まつりは浅原神社の秋の例大祭で、子供の誕生や成人、厄払いなどにちなんで
町の人々が浅原神社に花火を奉納する習慣があります。
朝から浅原神社へ花火の玉を奉納する「玉送り」や、花火打ち上げの成功と無事を祈る「筒引き」などの
古式ゆかしい伝統行事の数々が行われます。

※2004年10月に起きた中越地震の被災により多くの復興祈願の奉納花火が打ち上がりました。


〜goodtimeの追想〜

人によっては、聖地はたくさんあると思うが、花火愛好家にとっての聖地といえばやはり片貝かもしれない。
自分は花火愛好家だと思っていなくても花火の写真を撮っている者として片貝へ行ってみたいと思っていた。
しかし、9月9、10日固定でしかも遥か彼方の新潟となれば、そう簡単に行けるような場所ではない。
ところが2005年は金土開催で、しかも青春18切符の利用期限が9日まで。
これなら仕事は1日だけ休めばいいし、片道の交通費は安上がりとなれば行かない理由はない。
この計画が浮上したのは夏花火撮影を計画し始めた6月の頃だった。

とりあえず目指すは長岡。
青春18切符を使うために在来線でひたすら向かう工程、
当日の早朝では間に合わないため、ムーンライトながらを利用して前日からの移動となり
仕事を定時で切り上げて急いで電車に乗り込んだ。
1つでも乗り換えを失敗したり、電車が遅れてしまえば大垣発のムーンライトながらに乗れないのだから数時間の緊張が続く中、
23時19分、無事に大垣駅でムーンライトながらに乗車。
平日なのにながら号の車内は大勢の乗客で溢れていたのは愛・地球博の帰宅組なのだろうか。
そんな混雑した車内は4時42分着の東京まで続いた。

東京から上野駅経由で高崎線に乗って北上し高崎駅から上越線に乗って水上駅へ。
どんよりした空に新潟の天気が心配だったが、あてにならない天気予報では晴れマーク。
高気圧が新潟の上空にいるのだから、晴れ渡る空が広がってなければならないはずだ。
街から山の景色になって険しい景色が目に飛び込む。
いつも思うが、昔の人はよく険しい山に鉄道を引いたもんだと関心する。
上野駅で一便早く乗ったせいか、予定より30分早い8時12分に水上駅に到着。
温泉旅館がたくさんある山の喉かな温泉街といった西日本には珍しい独特な雰囲気を感じさせる。
あと少しで新潟だ。

水上駅を出発してしばらくすると長いトンネルに入る。
長い長い〜本当に長いトンネルで青函トンネルより長いような感じがする。
途中、トンネルの中に駅が2つあるくらい長いトンネルだった。

〜トンネルを抜けるとそこは雪国だった〜

本当にトンネルを抜けると雪景色が広がっているような気がしたが今は残暑厳しい9月。
雪は降らなくても雨が降っているかもしれない。
トンネルを抜けると、そこは雪景色でなければ雨でもなく、青空が一面に広がる景色に遠足で乗っていた子供達も歓喜を上げた。
黄金色に染まる田園風景に澄みきった青空。
まるで千と千尋の神隠しに出てくる別空間と繋がっている洞窟を想像させるような長く不思議なトンネルだった。
(のちに川端康成「雪国」で有名な清水トンネルと判明)
田園風景から徐々に街らしい景色へ変わり小千谷市に到着したが、片貝に行くには長岡の方が利便性が良いので小千谷は通過。
10時12分、出発してから約17時間、ついに長岡駅に到着した。

長い時間、電車に揺られていたので、ストレッチを兼ねて、駅ビル内でお土産屋を見て新潟に来たことに実感する。
魚沼産のお米やお酒が美味しそう。
その後、泊まるホテルに着替えなどを預かってもらい、近くのお店でへぎソバを食べ、
長岡駅から30分置きに片貝に向かうバスが出ているのでそれに乗る。
14時00分、花火の聖地片貝に到着した。
晴れ渡る空にポカンポカンと浮かんでいる白い空の間から眩しくて暑い日差しが射し、涼しいイメージがあったが新潟も残暑厳しい日々が続いていた。
そんな暑い中を頑張って現地調査開始。

とりあえず片貝まつりの会場である浅原神社に向かい神社の裏山から花火が揚がるので位置を確認しておきたい。
平日でもあるので町内はさほど混雑していないが、神社に近づくと人出で賑わっていた。
去年10月に発生した中越地震で崩壊したと言われる鳥居も綺麗に修繕されており、改めて復興の早さに驚く。
今日の主役である4尺玉、その他、奉納花火はどれも美しいと思うので、花火意外の被写体は無くても十分絵になると思うが、
やはり片貝である以上、片貝の雰囲気を出したい。
あとは、桟敷席の雰囲気やアナウンスがよく聞こえる場所で観覧したい気持ちが強かったので、
今回は、二日間とも桟敷席付近から撮影することにした。
しかし実際に現地に行ってみると、果たしてどこから撮っていいものかと、かなり思考錯誤することとなった。
川花火や海上花火なら先客カメラマンが群れとなっている辺りが良いかもしれないが、
片貝はそうはいかない。
近すぎると尺玉が近すぎて撮影不能。
離れるとなると民家に隠れるためかなり後退しなければならない。
思いきって田園地帯まで後退するか・・・
ここは良い場所だ、と思う所は殆ど私有地だったり既に地元の人がキープしている。
桟敷席付近を諦めようかとも思ったが、日陰に入って休憩したりしながら再び現地調査を続けた。
場所探しをするのもいいが、その前に正確に四尺玉の上がる位置を知りたかったので、関係者や地元の人に聞いて廻る。
桟敷席のすぐ後ろにある有料席は、既に人も多く後方では数名のカメラマンが三脚を立てらせて待機していたが、
どうやらここは、四尺玉が少し欠けてしまうらしい。
桟敷席は、当日券90人分くらい出ていたが、既に長い行列が出来ていた。
並べば確保出来るかもしれないが、どこに座らされるかわからない桟敷席は見るにはともかく撮影には向いてない。
農作業をしているおばあさんに四尺玉の上がる位置を聞いた時に本番当時の様子も教えて頂いた。
私有地や畑の間にある狭い通路も花火が上がる頃にはたくさんの人出となるので、その道から観覧すれば良い、と教えてくれた。
花火が揚がるであろう位置にある雑木林が気になるところだが、
ここなら桟敷席と絡めて撮れるかもしれないし、なりより桟敷席から近いということもあって、
片貝まつりの雰囲気が味わえると思った。

邪魔にならないように三脚を置いて無事場所確保。
残りの時間は、明日、そして来年のための現地調査を含めて片貝町内を探索して祭りの雰囲気を楽しむことにした。
浅原神社境内では、筒引きが行われており、大きな花火筒を台車に乗せて引っ張っていた。
明日は玉送りという行事もあり、どれも花火に関する行事である。
境内は混雑しているので、少し離れて小学校へ行ってみることにした。
途中、壁一面に張られている番付が目に入ってきた。
この光景も片貝ならではで、毎年多くの町内外の人が奉納しており、中には竜雷太、江口洋介など芸能人の方々、
朝の連ドラが舞台だった関係で有名人も奉納している噂はネットで知っていたが、今年も奉納しているとは驚いた。
江口洋介もドラマに出ていたかな?
(ドキュメント番組による片貝の取材の関係でした)

花火の撮影場所として利用する人も多い小学校へ移動。
今年から中学校が利用禁止になったので、小学校は既に満車状態でキャンプを張って待機している人も何人かいた。
新潟は涼しいという印象があったがそれにしても暑い。
あまりにも暑く、おまけに長時間の移動で既に気力体力共に底を付く状態となっているので桟敷席付近まで戻ることにした。
17時を廻れば暑い西日も和らぎ、空を見上げると綺麗な秋の空が広がり、雲の隙間から太陽の光がもれていた。
1000円もする番付(新聞紙並の大きさ)を見ると、9日の部は2尺玉1発、3尺玉2発、4尺玉1発、
その他、特大スターマイン、ベスビアス大スターマインなど見所満載。
後は尺玉が殆ど、尺玉が前座扱いのように思える何とも贅沢な内容で、しかも殆どが個人の協賛で上げるのだから驚きである。
ついこないだまで地震で被災したところなのに、花火に対する強い思いで片貝まつりが今も続いているのだと思った。
西日本では、尺玉が上がることすら珍しく、それどころか財政難で花火大会が無くなりつつある状況なのに・・・片貝は凄い。

打上開始時刻の19時30分が近づくと機材をセット。
19時30分に始まり終わるのが22時15分と約3時間の長丁場で、こんなに長い花火大会(奉納花火)が果たしてあるだろうか。
4尺玉はどのくらい迫力あるものなのだろうか?
ネットや雑誌などで見たことがあっても実際に見る迫力や美しさはわからないが、あと少しでそれが実現する。

19時30分、祝砲が派手に打ち上がり奉納花火開始。
噂に聞いてた名調子のアナウンスは今年も健在。
そして、次々と打ち上がる美しい尺玉、小割浮模様入りの冠菊、多彩な千輪、大きく広がる牡丹、和火、大柳火、
場所が近いせいでフレーム一杯にしても入らない。
スターマインとなると、千輪をたくさん使っていたり、尺玉の一斉打ちがあったりと、
こんな贅沢なスターマインは、滅多に見ることが出来ない。
そんな感じでハイペースに進んでいくのでフィルムはあっという間に消費していった。

決して、他の花火大会に比べると派手さは無く、単調な内容に退屈される人もいるかもしれないが、
ここ片貝の花火は、花火大会ではなく奉納煙火だという意識を持たなければならない。
奉納される地元の人々は、家内安全、商売繁盛、新潟復興などの祈願で打ち揚げる人、
結婚、出産、還暦の祝いで打ち揚げる人、故人を偲んで打ち揚げる人、そして中越地震復興祈願。
花火は揚がるが花火大会ではない。
そんな花火を見ていると、花火とは何のために打ち上げるのか、
いままで何のために花火を撮影してきたのか考えさせられるものがあった。

この日、揚がった二尺玉、三尺玉2発、そして四尺玉すべてが冠菊で、
四尺玉に関しては、毎回初日が千輪菊だったので冠菊は予想外だった。
大きな雑木林があるので下まで長く垂れ下がる姿は見ることが出来なかったが、
開花して星が広がった後に、ズドンとくる衝撃は未だかつてない経験をした。
ベスビアスも本当に凄かった。
これでもか!と言わんばかりに打ち上がる金冠菊は奉納された方の還暦を祝して打ち揚げたものであり、
また先立った同級生の友に捧げた追善供養、そして健康祈願が込められていた。
同じ学校の同級生で作った会による奉納花火、還暦になってもこのような形で集まり、
片貝まつりは同窓会のようなものでもあるのだと思った。

最後まで終わってないが、四尺玉が終わると同時に人の流れが動き出し、
四尺玉の余韻に浸りながら最後のスターマインを撮って自分も撤収。
これで家に帰っても思い残す事は無いが、今日見た花火が明日も見れるのかと思うとワクワクして仕方無い。
明日はどんな花火が見れるのだろうか。
帰りは臨時バスに乗って長岡に戻る。
来迎寺駅まで40分近くかかったが、それ以降はスムーズに流れて日付が変わる前には長岡に戻ることが出来た。
ホテルに戻る前に、駅前で見つけた居酒屋で今日の1日の疲れと思い出に浸り、
こうして初めての新潟遠征の長い1日が終わった。







写真館 二千年一夜