写真館 二千年一夜





立野スイッチバック













































立野スイッチバック












































赤水駅附近










































SLあそboy
熊本県阿蘇町
2005年8月28日






1988年、九州旅客鉄道が熊本駅〜宮地駅間を豊肥本線経由で運行される臨時快速列車。
国鉄50系客車をアメリカ西部開拓時代に活躍した客車風に改造した「ウエスタン風客車」を8620形蒸気機関車が牽引する。
運行時期は3月〜11月。
数日程度「SL人吉号」としても使用される。
2005年8月、惜しくも引退。その後、ディーゼル機関車が
牽引で運行されていたが同年末で終了。



〜goodtimeの追想〜


〜立野スイッチバック編〜

山口市内で花火大会撮影後、阿蘇に向かって夜間移動。
仮眠を取りながら4時前に立野駅に到着。
移動中に降り出した雨は止む気配無く朝を迎えた。
外が明るくなったので下りの撮影スポットである立野スイッチバックへ行ってみることにした。
先週は、午前7時時点では誰もいなかったが今日は既に車が5台ほど止まっている。
時間が経つにつれてカメラマンは100人を越える混雑が始まることになろうとは、今の時点ではまったく想像が付かない静けさが漂っていた。
雨は降ったり止んだりの繰り返しだったが、そのうち雨は止みカメラマン同士の争いが始まった。
今日は朝から田んぼの畦には厳しく立ち入りさせないように地元のカメラマンが注意を促していたが、
大勢のカメラマンが押し寄せれば注意の威力も失い無法地帯となる。
畦を平気で踏み壊す者も居れば、タバコの吸殻を捨てるカメラマンもチラホラ見掛け、
この撮影地もまたカメラマンは歓迎されない理由が伺える。
先週来た時のカメラマンの多さには驚いたが、今日はその数を越えており、
もっと早くから立野スイッチバックで撮影しておれば、混雑することもなく撮影出来ただけに、
引退することがわかってから撮影に出掛けるようでは後の祭り。
こうなればSLを撮るよりも大人数のカメラマンとSLという構図で狙った方がラストらしい写真が撮れるかもしれない。
三脚の場所は何とか確保したものの、少しでもスペースがあろうものならそこへ三脚を置かれてしまうため、その場を離れることが出来ない。
そんな中、11時30分、ようやく汽笛がコダマして聞こえてきた。
普段は田舎の喉かな光景だが今日は上空にヘリが飛ぶ賑やかさ。
駅からスイッチバックを通過するまで10分ほどかかるが、この時間はさすがにSLにさほど愛着の無い私でさえ鳥肌が立つ瞬間。
そんな姿も今日で見納めとなるとやはり寂しく残念に思う。
この先、何年何十年後、技術が進化してSLが復活することがあればまた立野を駆け上ってくれるだろう。
今日は最後なのか先週よりもたくさん煙を吐いてくれたような気がした。


〜赤水駅附近〜

上りの撮影ポイントは、阿蘇をバックに撮るか、外輪山をバックに撮るかどちらかに集中することを教えてもらったが、
国道57号線を走っていると、いい風景だなぁと思ったのはそのポイントだった。
ちょうど赤水駅を出発するので煙は期待出来る。
午前の雨雲はすっかり無くなり暑い日差しと気持ちの良い青空が広がっていた。
先週は、雨も降っていたことで赤水付近がイマイチわからなかったので違う所で撮ったが、晴れていたら間違い無く赤水付近で撮っていたに違いない。
殆どのカメラマンは、阿蘇をバックに狙っている一方、外輪山をバックに狙っている人は誰1人としておらず、
外輪山より個性ある阿蘇山の方が人気なのだろうか?
田んぼの稲は、立野よりも赤水の方が少し早く黄金色に染まり、昨日の徳佐に引き続き、今日も素晴らしい風景に出会えたことに心から感謝した。
大きな汽笛が聞こえ赤水駅にSLが到着。
そして15時55分、たくさんの黒煙を吐きながら目の前を駆け抜けていった。
2週に渡っての撮影で僅かな時間だったが、良い思い出を作ってくれて本当にありがとう、と心の中で呟きながらシャッターを切った。






写真館 二千年一夜