写真館 二千年一夜












































































































































































































































































壬生の花田植え
広島県千代田町
2005年6月5日






毎年6月第一日曜日に行われる壬生の花田植えは、西日本に残る花田植えとしては最大の規模を誇り、
また、その歴史の深さにより1976年に国指定重要無形民俗文化財に認定されている。
壬生は、高峰城と共に古くから由緒ある町で江戸時代からこの花田植が盛大に行われていたが、それが明治中期頃から行われなくなった。
そこでこれを永久に保存伝承しようと、当時の人々や町の商家(現壬生商工会)が主催して毎年実施するようになり今日に及んでいる。
昭和中期頃までは芸北地方一帯から愛好家が参加し、飾牛も数十頭、楽人(胴)や早乙女等二百余名という盛大さで、
伝統ある三反大町に展開される様は四方の山の新緑と相映じ、絢爛豪華初夏の一代絵巻物であった。

〜壬生の花田植えリーフレット参照〜


※以下、中国新聞記事から抜粋

西中国山地の初夏を彩る国重要無形民俗文化財の「壬生の花田植」が五日、広島県北広島町壬生で繰り広げられた。
県内外から集まった約五千人が、豊作や無病息災を願う田園絵巻を見守った。

曇り空に薄日が差し始めた午後二時半、
「農宝」などと書いたのぼりを立てた飾り牛十一頭が約十アールの水田に入り、豪快に泥をはねながら代かきを披露。
続いて地元の壬生、川東両田楽団が太鼓や笛のはやしを演奏し、一列に並んだ早乙女が苗を植えていった。




〜goodtimeの追想〜

八幡湿原のカキツバタ撮影後、千代田に着いたのは7時00分、少し早いので仮眠したものの蒸し暑さで10時頃に目が覚める。
花田植え公開は14時30分とまだまだ時間が、会場から離れた壬生神社に花牛準備会場があることを知り、
飾り牛のお披露目は13時からなので、ひょっとしたら準備している所を見れるかと思い行ってみた。
千代田の町並みを歩いて壬生神社へ到着したが、まだ牛は到着していない。
牛はいないが花牛目当てのカメラマンはたくさんいた(笑)
10時30分くらいにトラックに運ばれて牛が到着。
何頭来るんだろうと思ったら11頭やってきて狭い境内、モウォ〜モウォ〜の声が響く。
ここで長居してしまうと田植え会場へ入り込めないかもしれないので、適当な時間に壬生神社を後にする。
県下一の花田植えなので凄い大規模だと想像していたが、田んぼは思ったよりも小さかった。
12時20分、花田植え会場へ行って見るとたくさんの観客で埋め尽くされている。
こんなに花田植えの人気が凄いのかと思いきや、花田植えの前に小学生の演奏や踊りが披露されていたようだ。
さすが県下一というだけあって県外ナンバーも多く見られ観客もさることながらカメラマンも多い。
近くの山から号砲が打ち上がり13時を過ぎると壬生神社から飾り牛が登場。
田んぼに入って会場は賑やかとなる。
牛が歩くことでドロが跳ねて畦道附近の人は汚れてしまう仕組みになっているようで、
必死にシートや日傘で防ごうとしている姿が面白かった。
豪華な花鞍を更に造花で飾った牛11頭が狭い田んぼを優雅に歩き回る姿も美しいが、その姿が田んぼの水面に映り込むのもまた美しい。
そうしているうちに早乙女が登場し、花田植えもいよいよピークを迎えた。
朝の雨空が嘘かのように青空が広がり日差しが突き刺さるくらい暑く、お陰でシャッタースピードが上昇し、まさに花田植え撮影にはベストな条件となった。
30人ほどの早乙女が一列に並び田植歌を歌いながら田植えを始まる。
その後ろに太鼓や笛を演奏する楽人、その後ろで飾り牛が田畑を耕す。

16時00分、田植えも終わり早乙女が田んぼから上がった所で花田植えは終了。
飾り牛はとっくに壬生神社へと帰ってしまった。
壬生の花田植えは、県下一とうだけあって早乙女、楽人の人数も多く、本物の牛も使っている。
田植え最中は、解説などもあって本当に楽しかった。
しかし、電柱や電線、今風の民家、そして大勢の観客、カメラマンなど廻りの風景があまりにも現実過ぎて
どちらかというと廻りが山や田んぼが広がる風景の方が雰囲気があって良いのだが、
何はともあれ初めて壬生の花田植えを撮影出来たことは良かった。






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