入江保命酒本店
保命酒の起源は江戸時代の初め、鞆の浦で造られていたお酒と薬味で造ったことに始まり、
当時、瀬戸内海の港町 として全国から多くの人々や物資が交わっていた鞆の浦には醸造のノウハウが集約され醸造業が栄え、
そこに漢方の知識が加わって保命酒が誕生した。
鞆の津の商家
潮汲官女
潮を作るために潮を汲む女人を潮汲といった。
能楽や歌舞伎の題材となり雛壇飾りの対の衣装人形となった。
明治期の作。
潮汲官女
鞆・町並ひな祭
広島県福山市
2005年2月27日
”潮待ち”の港町・鞆には、江戸時代からの港湾施設・中世の町割、 その上に形成された歴史的な町並みが残り、鞆ならではの景観を形ずくっている。 その風情豊かな町並みのなかで、「鞆・町並ひな祭」を実施し、県外から多くの人々を迎える。 〜goodtimeの追想〜 鞆町内の早朝撮影を終えて、本題のひな祭りの光景を撮影に入る。 ひな祭りマップを手にしてどういうルートで見て廻るか作戦を立てるが、 民家商家含めて約70ヶ所を一般公開しているので、全部見て廻って写真を撮ると日が暮れそう。 まず最初に文化財でもある鞆の津の商家へ行ってみる。 ここはメイン会場にもなっており、甘酒などのサービスを振舞ってくれる休憩所になっており、早くから準備に追われていた。 話によるとたくさん人が訪れるらしいので、まだ誰も観光客が来てない隙に写真を撮る。 商家の雰囲気に合わせて雛壇を入れるか、それとも雛人形のアップで撮るか・・・初めての被写体に少々戸惑いを感じる。 古い物では、江戸時代末期のものから明治大正昭和初期まで飾られている。 最初はさっさと写真を撮って移動するつもりだったが、望遠で覗いているうちに魅力を感じてしまい、気付けば長居をしてしまった。 そのせいか、係りの人がコーヒーと甘酒を差し入れしてくれた。 撮影を終えた頃に、観光客が徐々に訪れてきた。 子供連れの家族も多かったが、興味のあるのは親の方で小さいな女の子にとっては退屈の様子だった。 鞆の津の商家を出て、各民家商家を見て廻ると、 雛壇が見えるように玄関は開放されており、自由に気軽に見学出来て、さらに住居人が雛人形に関して説明してくれたりする。 中には、約100年ずっと蔵の中にあった物もお目見え。 蔵を整理してたら出てきたものもあるとか・・・ 今と昔の違いは、木彫りの雛人形、嫁入り道具、着物、屏風の絵など、本当に歴史を感じさせれる芸術を堪能した一時だった。 |