波止場
近世に入り周囲の埋め立てなどにより、砂の回流がなくなり、港の海底に土砂が堆積して浅くなったり、
強風により、船舶が損傷を受けたりして、波止場の必要を生じました。
始めに寛政3年(1791年)に大可島下から90m、淀姫神社下から36mの波止を造りました。
その後、文化7年から文政7年にかけて延長され、先端部分は明治18年に造られました。
福山藩が築造した階段状桟橋と、現存する日本一の高さを誇る常夜燈
常夜燈は安政6年(1859年)建造
雁木
江戸時代に造られた船着場、干潮でも、満潮でも荷物を積み下ろしできるよう石積みの階段状になってます。
文化8年(1811年)建造
鞆の浦
広島県福山市
2005年2月27日
鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置して、潮の流れの変わる所、古くから潮待ちの港として、 大陸との交易の場として栄えてきた長い歴史を持つ。 江戸時代の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場、船番所が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみ。 〜港湾施設の説明文:澤村船具店HP参照〜 〜goodtimeの追想〜 女の子の節句である雛祭りには今まで興味無かったが、 たまたま仕事先で目に入った鞆の浦で行われる雛祭りのイベントに興味が沸き、鞆の浦へ訪れることになった。 町並みを歩いて鞆らしい風景である雁木のある漁港へ移動、常夜灯をメインに撮影。 有名な観光地も朝は誰もいない。 この静けさがとても好きで癒される時間でもある。 太陽が昇ると地元の人々が散歩したり老婆がベンチに腰かけて日向ぼっこ。 これもまた鞆の町並みらしい喉かな風景が好きである。 鞆の浦埋め立てについて随分前から騒がれているが、 私の個人的な意見としては、埋め立てせず架橋を作らず今の風景を残して欲しい。 しかし、歴史を守っている地元の人と将来を守ろうとしている地元の人が対立しているのだから、 私の意見など所詮余所者の意見にしか過ぎない。 この先、どういう結果になるのかはわからないが、 たとえどのような結果になろうとも、それもまた1つの歴史なのだと捉えようと思う。 |